チラシの裏ストーリーズ

楽しいものの見方、考え方を追求するブログ

チラシの裏ストーリーズ

最終回みたいなタイトル。(多分まだ続くけど)

 

 

インターネット上では、よく「チラシの裏にでも書いてろよ」とか、「チラシの裏クオリティ」と言った表現が用いられます。

 

これらの言葉は、主に創作物を批判するときに使われ、チラシの裏に書く落書きと同じくらい中身がない、と蔑むニュアンスを持っています。

 

 

しかし、僕は初めてこの言葉を知ったときからずっと、「チラシの裏ってすっごくポジティブ響きだなあ」と思ってきました。

 

僕らが小さかった頃、チラシの裏に落書きする時は、すっごく自由で、自分の思いのままに描いていたと思うのです。

やらされて描くのではなく、本当に楽しいから、本当にしたいから描くのであって。

 

僕はそういった物がとても素敵だな、と思っています。

 

 

例えばニコニコ動画上には、ほぼ収益にならないのに、それでも投稿する人がいるじゃないですか。

 

そういう人って、本当に単に「創作する事が好きな人」なんだと思います。

 

面白いアイデアを思い浮かべてはニヤニヤして。できあがった作品を見返して達成感を感じて。

 

お金をかけた作品も良いのですが、こういった意欲だけによる動画は、プレッシャーも感じずに作られているので、見る方も気軽に見られます。

 

僕はそういった作品が大好きなんです。

 

だからこそ、このブログのタイトルも「チラシの裏ストーリーズ」にしています。このタイトルは意欲的な創作物への憧れが込められており、そして一切の自虐的なニュアンスは込めていません。

 

 

・・・みたいな思いを題材にしたフィクション動画を、僕は以前作ろうと思っていました。

 

自作の物語が書かれた黒歴史ノートを友達に見られてしまったものの、その友達に物語を褒められる、みたいな内容でした。

 

だけどその動画を作っている途中で、「この動画自体が黒歴史じゃね?」と思い恥ずかしくなったので、完全にパソコンから消去しました。

 

 

僕はそういった創作が大好きなのに、恥ずかしさがそれを邪魔してきます。

 

本当はニコニコ動画特有の創作文化を守っていきたいのに、「後から絶対後悔するなあ」とか思って辞めてしまいました。

 

 

いつかまた、動画作りに再挑戦したいです。

 

今度は恥ずかしくなる前に投稿できるよう、10秒くらいの短い動画にすれば良いでしょうか?

また題材を考えないと・・・。

 

最近、宿題に少しだけ追われていたので、更新が滞っていました。

なので今日、一週間ぶりに更新しようと思います。

 

 

でも僕は、今日の朝3時から始まる深夜ラジオを聞いていたので、もう眠いです。

 

なので、今日は自作のアスキーアートを作って終わりにしようと思います。

 

TTTTTTTTTTTTTT

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

 

   3            3

           j

          _

 

スト2のガイル

LINEのプロフィール画像を何にしようか?

皆さんは、LINEのプロフィール画像を何に設定していますか?

 

人によって結構様々ですよね。自分の写真や、自分のいる集団の写真、ペットや景色の写真に、手描き風イラストとかアニメアイコンとか。

 

プロフィール画像は、SNS上で会話するときの「表情」なのだと僕は思っています。

人って話しかける時に、笑顔で話す人とか、むすっとして話す人とか、いろんな人がいますが、プロフィール画像はそれと同じ役割を担っていると思っています。

 

笑って話しかけている人は何かしら元気な画像を、クールに見られたい人は景色の画像を、といった風に。

 

実際、プロフィール画像はその人の価値観が出るという心理テスト記事をネット上でよく見かけます。

 

 

それくらい大事なプロフィール画像なのですが・・・。

僕は何も設定していません。デフォルトの、人型のシルエットのままです。

 

思い返せば、昔の僕はインターネットで拾った画像を設定していました。

その後、高校生の頃に部活のメンバー全員で画像を統一するブームがあったので、僕も乗じてそれに合わせました。

しかし、そのブームが去ってからは画像を消し、以降は何も設定していません。

 

 

そんな中、先週の土日、僕はプロフィール画像を変えようと思いつきました。

 

その土日は、二日とも家でだらだら過ごしており、気持ちが内向的になりすぎていたのです。

そして何もしないことが当たり前になってきている自分に、嫌気がさしてきたのです。

 

だから、流石に外に関心を向けよう!という事で、プロフィール画像を変えることにしました。

 

まずは簡単な所から、自分を動かし始めたいと思ったのです。

 

 

それならば何の画像にしましょうか?

 

まず僕は、ペットの画像や風景の画像は嫌で、人間の画像にしたいな、と思っています。

 

ペットは可愛すぎて僕の身の丈に合いませんし、そんな可愛がられたいわけではありません。

でも風景の画像みたいに無機物にするほど、僕はクールではありません。一応人には笑顔で接することが多いです。

人間はそのどちらの印象にも偏らず、また動物と違いある程度まともな、理性的な判断を下せるイメージがあるので、人間にしたいです。

 

それでは誰にするか?

プロフィール画像を人の画像にする人は多く、単に「人」と言っても、選択肢は多いです。

 

例えばアニメアイコン。僕はそこそこインターネットをやってきているので、アニメチックな画像は結構好みですし、好きなキャラクターも何人かいます。

 

しかし、僕はアニメ自体はそんなに見ません。だから、わざわざアニメアイコンにして「僕オタクでーす」みたいにキャラ付けするのは違うな、って思っています。

 

ネットではアニメなんて普通の存在ですけど、多分世間一般では避けられる存在で、わざわざ嫌われに行く必要も無いですしね。

 

あるいは自分の画像にしている人も多くいますよね。

 

でも、それも僕には向いていません。僕は自分の顔とか、立ち姿とかにあまり自身がありません。

正確に言えば・・・顔が自信ないというより、何か生理的に無理なんですよね、自分自身の事が。

こういった文章での自分は結構好きですが、写真ってなると何か拒絶したくなります。

 

折角仮面をかぶれるのなら、わざわざ自分の素顔をさらす必要もありません。

 

ならば、誰かしら憧れている人?

 

僕は結構いろんな人に憧れています。そういった人を自分の仮面代わりにできたら、まるで自分が成長したみたいな気分になって、きっと嬉しいはずです。

 

でも、僕の憧れの人たちは結構マイナーな人ばっかりです。そうなると、周りの人からは「誰だこの人」みたいに見られ、痛い人だと思われそうで嫌です。

 

 

こうして考えていくと、僕に与えられた選択肢はなくなりました。

 

プロフィール画像を何かしらに変えたいとは思いつつも、自分の見せたい自分(オタクだと思われたくない、まともに見られたい、とか)と、自分のなりたい自分(尊敬している人みたいになりたい、とか)が一致せず、何の画像にも設定できないのです。

 

 

結局僕は、画像を変えることはできず、未だにデフォルトのままです。

多分ですが、こういった所から内向的な思考が始まってくるのだと思っています。

できれば何かしら、丁度良い画像があれば良いのですが・・・。

 

 

最後になりますが、僕は高3の時にも、プロフィール画像を変えるか変えないかで悩んでいました。そしてその時も画像を変えませんでした。

 

そのことを考えると、多分今後も中々変わらないのでしょうね・・・。

とりあえずダイアリー4

特別書くことが無いまま1週間が経ったので、とりあえずの文章を書きます。

 

 

前々から気に入っている動画シリーズを紹介します。

【居酒屋】ささら・茜・ゆかりが比較的健全トークする動画【part4】 - ニコニコ動画

 

ボイスロイド劇場と呼ばれるジャンルの動画です。簡単に言えば、人形劇みたいな動画です。

 

お酒の席での会話を再現したような動画で、店員に注文を取ったり、話の途中で料理が運ばれて来たりと、リアリティのある描写が随所にあります。

 

様々な魅力があるシリーズですが、一番の魅力は、会話が面白いこと。

キャラクター達がそれぞれ個性・価値観を持って話したり、上下関係があるのにほぼ友達みたいに接していたりと、コミュニケーションの楽しい部分だけを集めたみたいな会話がなされています。

 

 

・・・本当はもっと詳しく魅力を伝えたいのですが、詳しく魅力を説明しようとすると少々ブログに書きづらい内容なので、ここまでに押さえておきましょう。

でもいつか、『酔った勢いで』詳しい魅力を伝える記事を書くかも知れません。

 

 

あと、この動画の投稿者は昔ブログもやっていて、それもとても面白いです。

太文字で冗談を言う感じとか、僕自身かなり影響を受けています。

一ヶ月暇生活

最近日雇い派遣会社に登録したのですが、応募する度「落選しろ!落選しろ!」と思っています。

働きたくなさ過ぎる。

 

 

 

小学生の頃、僕を作っていたのは「暇」という感情でした。

 

ことある毎に暇になったおかげで、何か面白い遊びをしたい、とか、何かで楽しみたい、といった前向きな気持ちになりました。

 

またその時間のおかげで、僕はいろんな事を考える事ができていました。

まだ誰もやったことの無い遊びを作り出して、ノートに書いてたり。

「実は『時間』なんてものは存在しなくて、それは人間が勝手に定義した物だ」なんてガキが言っても何の説得力も無いことを言っていたり。

 

暇を感じながら考え事をする時間が、僕にとってはとても幸せなものでした。

 

 

中学生になると、僕はこの「暇」をほとんど失いました。

 

なぜなら部活が始まったからです。

 

この時の僕は、土日も練習、長期休みも練習と練習三昧で、ほとんど毎日休めませんでした。

 

だけどお盆の9連休の内の5日くらいは、何もない日がありました。

 

僕はこの期間に、久々に「暇」という感情と再会し、「『暇』は幸せな感情なんだ」と気づきました。

 

 

その後、確か中学2年生くらいの時。ぼくはインターネット環境を手に入れてしまいました。

 

初めて手にしたネット媒体は、兄のお下がりのi Pod Touch。

これを手にした時から、僕の人生は間違った方向に流れていきました。

 

僕はインターネットの海に溺れていきます。

 

かつては「◯◯ Lite」と書かれた無料スマホゲームや、初代「うごくメモ帳」のwebページ。

それから徐々にYouTubeまとめサイトへと興味が移っていき、その面白さにどっぷりとはまっていきました。

 

 

インターネットは楽しい物ですから、絶対にダメな物だとは思っていません。むしろ、今の僕を一番幸せにするものだと思っています。

 

しかし、僕はあまりにインターネットに時間を割かれすぎて、様々な僕の幸せ、特に「暇」の幸福を忘れていきました。

 

 

そして現在。

僕はこの土日の間、家から一歩も出ずに過ごしました。

そしてその間、ずっとインターネットばかり見てました。

 

一切の誇張抜きで、少なくとも起きてる時間の8割5分はネットに触れていました。

 

 

正直、こんな人生はつまらない、というか、しんどいです。

 

昔にテレビ番組「世界一受けたい授業」で聞いたのですが、インターネットを使うと脳はたくさんの情報を浴び、それがストレスになるそうです。

 

僕が遊びに行く気力が無くなっているのは、インターネットが持つ麻薬的な面白さに加え、もしかすると情報過多による疲れも原因なのかも知れません。

 

 

僕はこんな活力の無い人生は嫌です。という事で、とある挑戦をしてみたいと思います。

それが「一ヶ月暇生活」です。

 

 

これから一ヶ月の間、1日30分くらい、情報媒体に触れずに、何か考え事をする時間を取ろう、という試みです。

 

テレビやゲーム、スマホ、パソコンなどの電子機器はもちろん、本や楽器なども触れないようにしようかな、と思っています。

 

何かを書くことだけは許可しましょうかね?(書くことは情報を浴びることでは無く、吐き出すことなので)

 

流石に電話がかかってきたり、一日中予定があって時間がとれない日などはノーカンにしますが、そうで無い場合はしっかりと続けていきたいと思います。

お風呂上がりにでもしましょうかね。

 

 

この挑戦って、どこか瞑想と似てます。

 

でも、少し違うのは、確か瞑想は「自分の呼吸にだけ集中し、何も考えないようにすること」だったと思いますが、僕は「くだらない事や、欲望にまみれた事を考えること」をしたいです。

 

僕はそういった方が好きなのです。ミニマリストよりマキシマミストになりたい。

 

 

姿勢もあぐらとかにしない。

「一ヶ月暇生活」の正しい姿勢は、ベッドに寝っ転がり、足を好きな方向に曲げる。伸ばしても良い。あるいは立っても、座っても、歩いても良い。正しい姿勢って何だ。

 

 

ジョブズが瞑想を取り入れたのなら、僕みたいなドクズは妄想を取り入れよう、ということで。

 

 

早速今日、やってみました。

 

お風呂上がりのほてった体で布団の上に寝っ転がると、「毛布ってふわふわなんだな」とか、「シーツとか久々に間近で見たな」とか、ネットに集中していれば絶対に気づかないような些細な事にも気づけました。

 

そして、こういった感覚は、実に僕の感覚と合っているのですよ。

 

人って多分、幼少期の経験がその人の普通になると思うのです。

そして僕の場合、その普通にはインターネットは無く、代わりに「暇」があります。

久しぶりにその感覚と出会えて、心地よい時間となりました。

 

 

しかし、少し気に障る事もありまして。

 

時間がたった後に、「ボナペティートって何だったっけ・・・?」とか、「ボンボヤージュって何だったっけ・・・?」とか、くだらない疑問が浮かんできます。

 

いつもならすぐにインターネットで調べるのですが、今はそれができません。

気になってすぐにでも調べたくなります。

 

でもおそらく、こういったことを調べないことが、僕の人生の「毒抜き」になっていくのかな、と思っています。

頑張ってこの「毒」を減らしていきましょう。

 

 

おそらく最終日の7月1日に、この生活の感想を書くと思います。それまでに何かしらの途中経過も書くかな?

どうなるのか分かりませんが、一ヶ月間、(多分)幸せな時間を過ごそうと思います。

宝くじが当たったときの正しい立ち振る舞いについて

小学校の道徳の時間で、こんな物語を読んだことがあります。

 

昔々あるところに、2人の農民がいました。

一人はとても真面目に働き、もう一人は怠けて過ごしていました。

 

ある日その2人が宝くじを買うと、2人とも当たりました。

2人は大喜びしました。

 

それから怠けた農民は、毎日のように大勢の人を呼び、盛大に宴会を開きました。

すると大金は一気に底をつき、元の貧乏生活に戻ってしまいました。

世間は彼を馬鹿にしました。

 

一方真面目な農民は、お金を無駄に使わず、また一生懸命働き始めました。

世間は彼を賞賛しました。

 

 

この話を読んだのはずいぶん昔の事なので、多少内容は違うかも知れませんが、大体はこんな話でした。

 

 

この話を初めて読んだ時には、大して何の疑問も持たず、「真面目に生きなさい」って教訓を素直に受け取りました。

 

今でもその教訓は間違っていないと思います。

 

 

ただ、少し本題とずれたところで、僕は疑問を持ちました。

 

お金の使い方のセンスは、怠けた農民の方があるんじゃないでしょうか?

 

 

僕は以前、テレビ番組「奇跡体験アンビリーバボー」で、宝くじに当たった人の話を見ました。

 

その人は宝くじに当たってから、毎日家に訪問販売が来るようになり、旧友がいきなり馴れ馴れしくなったせいで、人間不信に陥ってしまい、誰とも話さなくなったそうです。

 

こういった事を避けるには、すぐにお金を使いきって、金目的の人から距離をとった方が良いと思っています。

 

 

それに「真面目な農民」の方が、宝くじ分のお金を使い切ったあと、元の暮らしに戻り辛いと思うのです。

 

「怠けた農民」は、生活水準が上がった期間はせいぜい2週間かそこらで、それからはいつもの暮らしが待っていました。

なので、いつもの暮らしに戻るのもそこまで苦痛では無かったと思います。

 

せいぜい、ゴールデンウィーク明けくらいの苦痛でしょう。

 

しかし「真面目な農民」は数十年間ずっと生活水準が高いままになるでしょう。

そしていくら節約するとは言っても、宝くじの賞金は給料みたいに毎月もらえる物ではありません。

なのでいつかは底をつきます。(もし死ぬまで使い切らなければ、それはそれでもったいないですし。)

 

一度上がった生活水準は避けづらいでしょう。

そうなったら、お金はもう無いのに、生活水準は下げられないという板挟みに遭います。

 

それならば、元から豪遊した方が幸せだと思います。

 

 

以上の理由から、僕は「怠けた農民」の方がお金の使い方のセンスがあると思っています。

皆さんはどう思いますか?

 

僕のこの考え方は、「アンビリーバボーの記憶」や「一度上がった生活水準は下げられないという言葉」など、僕の今までの経験に強く影響されていますし、

それにいくつか突っ込みどころもあると思うのです(死ぬまでに使い切れなければ、子孫に渡せば良いのでは、とか)。

 

だから「真面目な農民」の方がセンスがあるという人もいると思っています。

 

面白い議題なので、皆さんもぜひ考えてみてはいかがでしょうか?

ヒップホップイベントに行こうとした話

極限まで肥大化した自意識は、バカにするとめちゃめちゃ面白い。 

 

皆さんは、ヒップホップという音楽はご存知でしょうか?

ヒップホップというのは、(僕の認識では)ラップやDJなどを用いた音楽のことで、元々は黒人が鬱憤を晴らすために生まれた音楽なのだそうです。

 

そのため、ヒップホップにはどことなく「無法地帯、不良の音楽」といったイメージがついています。

 

 

かつては「HIPHOP?お尻が跳ねる?楽しそう!」位のイメージしか無かった僕ですが、様々なものの影響を受けて、いつの間にか興味を持ってきました。

 

そんな中で昨日、twitter上でヒップホップイベントの案内を見ました。

それは参加型ではなく、お客さんとして見に行く、ライブ形式のものでした。

 

それを見た瞬間、特に何も考えずに行くことを決めました。

 

 

そして今日、午後6時20分。僕は家を出て、電車に乗りました。

 

このとき気づきました。僕はなんと身分不相応な事をしているのかを。

 

 

そもそも僕は人に会うことが苦手な人種です。特に会話より雰囲気やノリを大事にする人とは上手く交流できません。

 

さらに僕の身なりも。染めもパーマもしていない髪の毛に、ありふれた眼鏡、それに中学時代から着続けているTシャツ。

 

下手すりゃ小学生の時から一切ファッションセンスが変わっていません。

 

つけてる腕時計すら幼稚、もはや妖怪ウォッチそりゃ押しつけられるわ校内掃除。(駅までの道のりで考えていた韻)

 

 

しかも電車内で、おそらく僕と同じ会場に向かっている人を見つけました。

 

なぜ分かったのかというと、その人のファッションセンスというか・・・・・・、

言ってしまえば、彼の帽子には、”葉っぱ”のイラストが描かれていたのです。

 

そういう不良っぽいアイテムがあれば会場に入りやすいのでしょうが、僕はそんなものを一切持たずに会場に向かうRPGの防具縛りプレイみたいな事をしていました。

 

 

他にも駅には若者が大勢いました。

 

会場に近づくほど都会になるのですが、駅に停車する度電車内の若者率が上がっていって。

「こんな人たちとライブを楽しむなんて・・・、嫌だ、若者怖い!」

とおびえていました(俺もまだ19歳の若者)。

 

正直誰も僕の事なんて気にしないのでしょうが、それでも着飾った若者に囲まれると、自分のみすぼらしさに引け目を感じてしまうのです。

 

 

ようやく目的の駅に着きました。

しかし、このときから「帰る」という選択肢が脳内を支配していました。

 

ブログも「若者怖い!(俺もまだ19歳の若者)」と書いてオチにしよう、そして帰ろう、とか考えていました。

 

でもなんとか会場に向かいました。

 

向かっている途中、何度も信号に引っかかり、「これは神様が帰るよう促しているのでは」とか思っていました。

 

 

そして会場前最後の曲がり角。

僕は帰ることを決めました。

 

こんなのばっかりですいません。僕は元々勇気の無い人間なんです。

 

なぜそうしたのかというと、実は、その最後の道が、夜の街というか・・・、言ってしまえば風◯街だったのですね。

 

僕はそういった所に近づきたくなかったのです。

別に誰に見られるわけでもないのでしょうが、誰かに見られたら嫌だな、と思って。あと個人的にも近づきたくなくて。

 

あのー、もし僕が怪物になって、あなたの街を襲いそうになったら、その街に風◯街を建ててください。その地区には近づきませんから。

 

ということで、10分かけて歩いてきた道を引き返すことにしました。

 

 

引き返す途中で、チラシ配りのお兄さんに声をかけられました。

 

僕は普段、配られた物はなるべく受け取ります。

なぜなら、僕は昔チラシ配りをしたことがあって、そのときに無視されるのがめちゃめちゃ辛かったからです。

 

今回も例に漏れずチラシを受け取りました。

 

すると、その人は積極的に話しかけてくれる人で。

 

「ほんとに受け取ってくださるとは!今は何されているのですか?」

 

「えーと、帰りです。」

 

「あ、◯◯駅に、ですね。学生さんですか?」

 

「えっ、はい。・・・2年生です。」

 

「良いですね~遊びどきですね~!」

 

「まあ・・・。(苦笑)」

 

いや全然遊べてないっつーの!

今まさに諦めて帰ろうとしてるの!遊ぶの下手すぎるの僕は!

 

ほんと今日の出来事を全部言おうかと思いましたよ。流石に対応に困ると思ったので辞めましたが。

 

 

その後僕は、なんとか別ルート、つまり怪しい店の近くを通らずに近づけるルートを探しました。

 

そしたら一応見つかりました。

でも「もしこの曲がり角を曲がったら、結局”そういう”店ばかりの道があるんだろうなー」と思って、最後の曲がり角の手前で立ちすくんでいました。

 

そこは丁度橋の上で、下に流れる川を見下ろしていました。

 

ここで引き下がったら今日一日がとってもつまらない日になる。

でも正直ここまでの出来事はめちゃめちゃ面白かった。

ブログのネタにも十分だ。

・・・・・・・・・。

 

何万歩より距離のある一歩を、僕は踏み出せずにいました。(こんなことに引用される車輪の唄かわいそう)

 

f:id:jyarin:20190525210959j:plain

そのとき撮った写真。作品名:『葛藤』

 

・・・結局僕は会場に向かうことはできず、駅に戻ることにしました。

 

 

そして今、家でこのブログを書いています。

 

交通費往復500円を無駄にして、手に入れたのは不動産屋のチラシだけでした。

 

敗因を考えると、今回のイベントには「初心者も歓迎!」の文字が無かったことだと思います。

 

ただでさえ怖い文化なのに、入って良いのかも分からないイベントに入ることは、僕にはできませんでした。

 

初心者お断りでお友達じゃない男達に囲まれると、この育ちのいい僕はきっと棒立ちのままでしょう。

 

今度は、ちゃんと「初心者も大歓迎!」の文字があるイベントにトライしようと思います。

もしできたら、またブログにも書きますね。

 

 

ただ、今回の旅は、例えイベントには行けなかったとしても、僕にとっては刺激的なものでした。

 

この記事の中で出てきた冗談も、ほとんど道中で思い浮かんだ物です。

明らかにいつもより頭が冴えていて、下手すりゃラップバトルしてても勝てるくらいでした。

本当はイベントにも行ってた方が良かったのですが、今の僕はこのくらいの刺激でも十分ですね。