チラシの裏ストーリーズ

楽しいものの見方、考え方を追求するブログ

ヒップホップイベントに行こうとした話

極限まで肥大化した自意識は、バカにするとめちゃめちゃ面白い。 

 

皆さんは、ヒップホップという音楽はご存知でしょうか?

ヒップホップというのは、(僕の認識では)ラップやDJなどを用いた音楽のことで、元々は黒人が鬱憤を晴らすために生まれた音楽なのだそうです。

 

そのため、ヒップホップにはどことなく「無法地帯、不良の音楽」といったイメージがついています。

 

 

かつては「HIPHOP?お尻が跳ねる?楽しそう!」位のイメージしか無かった僕ですが、様々なものの影響を受けて、いつの間にか興味を持ってきました。

 

そんな中で昨日、twitter上でヒップホップイベントの案内を見ました。

それは参加型ではなく、お客さんとして見に行く、ライブ形式のものでした。

 

それを見た瞬間、特に何も考えずに行くことを決めました。

 

 

そして今日、午後6時20分。僕は家を出て、電車に乗りました。

 

このとき気づきました。僕はなんと身分不相応な事をしているのかを。

 

 

そもそも僕は人に会うことが苦手な人種です。特に会話より雰囲気やノリを大事にする人とは上手く交流できません。

 

さらに僕の身なりも。染めもパーマもしていない髪の毛に、ありふれた眼鏡、それに中学時代から着続けているTシャツ。

 

下手すりゃ小学生の時から一切ファッションセンスが変わっていません。

 

つけてる腕時計すら幼稚、もはや妖怪ウォッチそりゃ押しつけられるわ校内掃除。(駅までの道のりで考えていた韻)

 

 

しかも電車内で、おそらく僕と同じ会場に向かっている人を見つけました。

 

なぜ分かったのかというと、その人のファッションセンスというか・・・・・・、

言ってしまえば、彼の帽子には、”葉っぱ”のイラストが描かれていたのです。

 

そういう不良っぽいアイテムがあれば会場に入りやすいのでしょうが、僕はそんなものを一切持たずに会場に向かうRPGの防具縛りプレイみたいな事をしていました。

 

 

他にも駅には若者が大勢いました。

 

会場に近づくほど都会になるのですが、駅に停車する度電車内の若者率が上がっていって。

「こんな人たちとライブを楽しむなんて・・・、嫌だ、若者怖い!」

とおびえていました(俺もまだ19歳の若者)。

 

正直誰も僕の事なんて気にしないのでしょうが、それでも着飾った若者に囲まれると、自分のみすぼらしさに引け目を感じてしまうのです。

 

 

ようやく目的の駅に着きました。

しかし、このときから「帰る」という選択肢が脳内を支配していました。

 

ブログも「若者怖い!(俺もまだ19歳の若者)」と書いてオチにしよう、そして帰ろう、とか考えていました。

 

でもなんとか会場に向かいました。

 

向かっている途中、何度も信号に引っかかり、「これは神様が帰るよう促しているのでは」とか思っていました。

 

 

そして会場前最後の曲がり角。

僕は帰ることを決めました。

 

こんなのばっかりですいません。僕は元々勇気の無い人間なんです。

 

なぜそうしたのかというと、実は、その最後の道が、夜の街というか・・・、言ってしまえば風◯街だったのですね。

 

僕はそういった所に近づきたくなかったのです。

別に誰に見られるわけでもないのでしょうが、誰かに見られたら嫌だな、と思って。あと個人的にも近づきたくなくて。

 

あのー、もし僕が怪物になって、あなたの街を襲いそうになったら、その街に風◯街を建ててください。その地区には近づきませんから。

 

ということで、10分かけて歩いてきた道を引き返すことにしました。

 

 

引き返す途中で、チラシ配りのお兄さんに声をかけられました。

 

僕は普段、配られた物はなるべく受け取ります。

なぜなら、僕は昔チラシ配りをしたことがあって、そのときに無視されるのがめちゃめちゃ辛かったからです。

 

今回も例に漏れずチラシを受け取りました。

 

すると、その人は積極的に話しかけてくれる人で。

 

「ほんとに受け取ってくださるとは!今は何されているのですか?」

 

「えーと、帰りです。」

 

「あ、◯◯駅に、ですね。学生さんですか?」

 

「えっ、はい。・・・2年生です。」

 

「良いですね~遊びどきですね~!」

 

「まあ・・・。(苦笑)」

 

いや全然遊べてないっつーの!

今まさに諦めて帰ろうとしてるの!遊ぶの下手すぎるの僕は!

 

ほんと今日の出来事を全部言おうかと思いましたよ。流石に対応に困ると思ったので辞めましたが。

 

 

その後僕は、なんとか別ルート、つまり怪しい店の近くを通らずに近づけるルートを探しました。

 

そしたら一応見つかりました。

でも「もしこの曲がり角を曲がったら、結局”そういう”店ばかりの道があるんだろうなー」と思って、最後の曲がり角の手前で立ちすくんでいました。

 

そこは丁度橋の上で、下に流れる川を見下ろしていました。

 

ここで引き下がったら今日一日がとってもつまらない日になる。

でも正直ここまでの出来事はめちゃめちゃ面白かった。

ブログのネタにも十分だ。

・・・・・・・・・。

 

何万歩より距離のある一歩を、僕は踏み出せずにいました。(こんなことに引用される車輪の唄かわいそう)

 

f:id:jyarin:20190525210959j:plain

そのとき撮った写真。作品名:『葛藤』

 

・・・結局僕は会場に向かうことはできず、駅に戻ることにしました。

 

 

そして今、家でこのブログを書いています。

 

交通費往復500円を無駄にして、手に入れたのは不動産屋のチラシだけでした。

 

敗因を考えると、今回のイベントには「初心者も歓迎!」の文字が無かったことだと思います。

 

ただでさえ怖い文化なのに、入って良いのかも分からないイベントに入ることは、僕にはできませんでした。

 

初心者お断りでお友達じゃない男達に囲まれると、この育ちのいい僕はきっと棒立ちのままでしょう。

 

今度は、ちゃんと「初心者も大歓迎!」の文字があるイベントにトライしようと思います。

もしできたら、またブログにも書きますね。

 

 

ただ、今回の旅は、例えイベントには行けなかったとしても、僕にとっては刺激的なものでした。

 

この記事の中で出てきた冗談も、ほとんど道中で思い浮かんだ物です。

明らかにいつもより頭が冴えていて、下手すりゃラップバトルしてても勝てるくらいでした。

本当はイベントにも行ってた方が良かったのですが、今の僕はこのくらいの刺激でも十分ですね。

敬語を使いすぎたら敬語が使えなくなった

f:id:jyarin:20190522200748j:plain

学生生協で牛乳を買ったら、ストローがついてきました。

1000mlもの牛乳を飲み歩き・・・。

 

 流石に無理がありますね。

 

ーーーーーーーーーーーーー

僕は中学校に入学したときから、異常なほど敬語を使っていました。

先輩にはもちろん、みんなが呼び捨てで呼んでいる先生にも、何なら同級生にすら、敬語で丁寧に話していました。

 

元々は確か「中学校には怖い人がいっぱいいる」と思い込んでいたので敬語を使っていたのですが、そんな生活が続く中で、敬語の持つ意味が変わってきた気がします。

 

僕にとっての敬語は、「怖い人の気を荒立てないようにするもの」から、「他人と距離を取るためのもの」、また「自分を真面目そうに見せるためのもの」に変わっていったようです。

 

実際心理テスト系のサイトを見てみると、「頻繁に敬語を使う人」は「他人と親密になりたくない人」らしいです。

 

また、昔まとめサイトで見た「ウザい奴の特徴www」みたいなスレッドで見事に「同級生なのに敬語を使う」と書いてあって、「やはり自分を誇示するための敬語なのかな」とか思って傷ついたこともあります。

 

あまり良くない言葉使いなのでしょう。

 

 

高校3年生くらいから大学生にかけて、僕はあまり敬語を使わなくなりました。

 

理由は様々にあるのでしょうが、一つには「親密な会話を楽しみだした」事があるでしょう。

この時期に、僕は丁度しょうもない冗談の言い合いもできる人に囲まれ始めたのです。

 

今では頼み事をするとき以外は、初対面の同級生にも大概ため口で喋れるようになりました。

(頼み事をするときは未だに敬語なのですが、これも偉そうに聞こえるのかな・・・?)

 

 

ただ、こんなに敬語を使ってきた弊害で、今度は使うべき場面でも敬語が使えなくなってきています。

先輩だとか、先生だとか、さらにバイトの面接官とかにも、ため口で話してしまうことが良くあります。

 

どうしてこうなるのかというと、僕にとって敬語は「相手を敬う為の言葉」ではなく、「相手と距離を取る為の言葉」になっていたからです。

そのせいで敬うべき相手にすら、親密に話をしているとため口が出てしまう時があります。

 

これだと絶対に将来の面接などで困ります。

 

 

かつて敬語を使いすぎたせいで、今では上手く敬語を使えなくなってしまいました。

ちゃんと周りに合わせる事も必要なのですね。

「しない後悔よりする後悔」が信じられない

ドキュメンタル7のハリウッドザコシショウさんのネタ「モールス信号」が何を意味しているかを調べました

「さくせんくいふきゆうじよもとゆうじよもとむ」

適当な音でなく、ちゃんとモールス信号になっていたのですね

 

意味は分からんが。

 

ーーーーーーーーーーー

 

昔からずっと思っている事があります。

 

人生論、特に恋愛の話題でよく言われる「しない後悔よりする後悔」という言葉があるじゃないですか。

僕も何度か聞いた言葉ですし、恐らく皆さんも一度は聞いたことがある言葉だと思います。

 

 

でも、この言葉って本当なのでしょうか?

みんな当たり前のようにこの言葉を使っているけれども、当然論文とかで証明された訳ではありませんし、「しない後悔」と「する後悔」の割合を比較した調査が行われた訳ではありません。

 

だから、そんなにこの言葉を「当たり前の事実」として使うのはどうかと思っています。

 

どうせあれだろ。「する後悔」をした奴が道連れにしたいだけだろ!

 

 

・・・わざわざこんなに否定した背景には、僕の個人的な経験があります。

「しなかったけれど、後悔していない」経験です。

 

 

僕は高校生の頃、好きな人がいました。

その子の近くにいるだけで何かピリピリして。どこか浮わついて。でも何か幸せな気分で日々過ごしていました。

 

だけど僕は、好きだって事にひたすら気づかないふりをしていました。自分をごまかしていました。

「人を好きになると、面倒なことが起こる」とか、「まともな僕が、人を好きになんてなる訳がない」なんて思って。

 

本当は、単に恥ずかしかっただけなんですがね。

 

 

そうこうして1年後。

気がつかないふりをしたまま終わりました。

 

あーもったいない!俺の青春時代もったいない!

 

・・・でも、正直そんなに後悔はしていません。

なぜなら、もしその子に何らかのアクションを起こしていたとしても、どうせ僕はその後のデートだとかを上手くできないだろうと思っていたからです。

 

なんなら、今でこそマシになったものの、当時は「もし付き合っていたら起こっただろうミス」を想像し、それがトラウマになっていた時期すらあります。

 

いやおかしいでしょ!なんで存在しない記憶がフラッシュバックの対象になっているんだよ!

 

 

また、「して、とても後悔した」経験もあります。

中学の時の、これまた恋愛の話です。

 

・・・が、正直これはまだ心の整理がついておらず、ネット上で広く拡散したくはありません。申し訳ありません。

 

 

・・・しかし何にせよ、僕の個人的な体験は、見事に「しない後悔よりする後悔」の逆を行っています。

だから僕個人としては、この言葉は絶対に正しいものでは無いんだ、と感じています。

 

 

ただ、僕の周りにも「しない後悔よりする後悔」を正しいと言う人はいましたし、実際何度も言われているフレーズです。

 

だから、「しない後悔よりする後悔の方がマシ」な人もいる、ぐらいの感覚が最適なニュアンスなのではないのでしょうか。

 

僕の場合、していなくても「する後悔」の映像が脳内再生されるから「しない後悔」にとどめておいた方が良いけど、

世の中には「しない後悔」が頭にこびりつく人もいるのでしょう。

 

人によって様々なようです。だから、この「しない後悔よりする後悔」という言葉は、全員に当てはまる訳では無いようです。

 

 

最後に余談ですが、こんなに恋愛の事を書いていると、僕はある歌詞を思い出しました。

 

「ダンスロボットダンス」の中の、「恋とは心のバグなのさ それでも共鳴して、いたいの!」です。

ダンスロボットダンス / 初音ミク - ニコニコ動画

 

この言葉すっごく分かるのですよ。

好きな人がいたときは、ほんと何か浮わつくし、常にその子に見られるかも知れないと意識するから動きが不自由になるし。

 

でも、その感覚がすっごく幸せなんですよね。そのふらふらに身を委ねていたいのですよね。

 

「バグ」と「共鳴」という二単語でこの感情を表すのは、実に言い得て妙な例えだと思っています。

好きなコンテンツを語ろう① じすみっく

こんにちマーマレード(特徴を出そうとして失敗するタイプのゲーム実況者の挨拶)

 

 

今回は、自分のお気に入りのものを紹介しようと思います。

好きなものの話が、きっと一番楽しい話題でしょう。積極的に伝えていきます。

 

 

今回はじすみっくさんについて紹介しようとおもいます。

 

じすみっくさんはニコニコ動画に動画を投稿されている方で、「音MAD」と呼ばれるジャンルの動画を制作されています。

(音MADというのをご存じ無い方は、こちらの動画を見て頂けたら、なんとなく雰囲気は掴めるかと思います。→おしゅかしゃま - ニコニコ動画

 

 

音MADを作られている動画投稿者はたくさんいらっしゃいますが、じすみっくさんには他の投稿者にない、唯一無二の魅力があります。

 

それは「面白さ」です。

 

まずはこちらの3枚の写真を見てください。

f:id:jyarin:20190514205056p:plain

サマスク!! - ニコニコ動画

f:id:jyarin:20190514205113p:plain

きゃんぱすのうた - ニコニコ動画

f:id:jyarin:20190514205130p:plain

Near to Students - ニコニコ動画

 

 

・・・文脈を伝えてないので訳の分からない画像だとは思いますが、なんか、面白そうでしょう?

 

画像だけで面白いと思わせる魅力が、じすみっくさんにはあります。

 

 

また、画像だけでなく、言葉で笑わせる場面もありまして。

 

じすみっくさんはよく、昔のZ会のCMを題材にした動画を作るので、動画内では「受験」や「勉強」をモチーフにした替え歌が頻繁に出てきます。

 

例えば・・・

「あー 全速力で 必死で駆けていこう」は

「あー 全学統一で シャー芯欠けて2浪」凸凹スピードスタディ - ニコニコ動画

 

「セクシー 過ぎてゴメンネ」は、

「判定C? 俺A判wゴメンねww」とか

「世界史 捨てて5点ねw」

「選択肢 見ずに5連A」など。俺は今、モーレツ★見直しスタディ! - ニコニコ動画

 

 

また、このようにZ会のCMをネタにしていたら、なんとそのCMに出ている本人が反応し、さらにそこからニコニコ文化に興味を持ってゲーム実況者になったというエピソードまであります。

一つの面白動画が、一人の男の人生を変えた。

 

 

Z会のCM以外の物も題材にされる時もあります。

 

有名なのだとハズキルーペのCMとか。

www.nicovideo.jp

 

どっ下ネタだけどサビがめちゃくちゃ面白いやつだったり。

www.nicovideo.jp

 

また、一動画でアニメ「けものフレンズ」の魅力をフルに伝える、珍しく感動路線の動画もあります。

www.nicovideo.jp

 

 

このように、じすみっくさんは面白さを軸にしたエンターテイメントを届けられています。

気になった方は、ぜひ張られたリンクから、動画を見に行ってください。

最後の4コマ漫画と、1ヶ月4コマ漫画生活の感想

f:id:jyarin:20190511223513p:plain

 

 

 

今回で、1ヶ月に渡った4コマ漫画投稿生活は終わりです。

 

 

どうだったのでしょうか?

始まる前は、「続けることによって成長できるのか」みたいな事を言っていましたが、僕は成長できたでしょうか?

 

 

・・・正直、僕は成長できていないと思います。

少しだけ絵が上手くなったことと、縦書きの文を右から左に書くようになったことは成長と言えますが、肝心の内容・面白さは変わらないままでした。

 

・・・正直に言えば、自分で面白いと思った作品もあるのですよ!

昨日の缶バッジのやつとか、パジェロを割るやつとかは、僕は結構好きです。

 

でもそれは「面白かった回もあればつまらなかった回もあった」というだけで、決して「徐々に面白くなった」という訳では無いのです。

 

所詮1ヶ月では、成長が見込めないのですかね・・・。

 

 

「1ヶ月で成功できないのなら、もう1ヶ月すれば良いんじゃないか」という意見も十分にあると思います。

というか僕自身がとっても強くそう思っています。

 

・・・でも正直な話、4コマ漫画を書くのって結構面倒なのですよ。

イデア出しの時間を含めたら、1時間程かかります。

結局成長しない可能性があるのに、これをもう1ヶ月する元気は、僕にはありません。

 

 

以前「1ヶ月◯◯をする!みたいな『期間を設けた目標』は、『期間を決めない目標』より長続きする」みたいなことを偉そうに書きましたが、

これには「期間が終わり次第全く努力しなくなる」という弱点もありまして。

今回も例に漏れずやる気をなくしています。

 

前々から散々言っているように僕は面白い物を発信している人に憧れています。

そして、僕もそういった人になりたいという思いが強くあります。

でも、それ以上に、僕は怠けていたい、だらだらしたいという欲望が強くあるようです。

 

 

僕たちが普段見る人って、おおよそ成功者じゃないですか。

お笑い芸人も、ミュージシャンも、発明家も、動画投稿者も、どれもこれも大体有名な人ばかりを見ていて。

 

成功していないマイナーな人たちも、本当はたくさんいるはずなのに、目立たないから僕はその存在に気づかずに生きている。

 

そのせいで、僕は「誰でも簡単に成功者になれるんだ」と思い込んで、こんな挑戦をしているのでしょう。

 

そして僕は案の定、簡単では無いことに気づいたのでしょう。

 

 

僕はこの大学生活で、「自分が何者でも無い」事を学んでいるような気がします。

 

今まで「優等生」と言われ育ってきたのに大学の勉強は分からなくて。

バイト先になじめず3ヶ月で辞め。

投稿した動画がめちゃめちゃつまらなくて。

ラジオに送ったメールが中々読まれなくて。

 

僕という人間は、自分で思っていた以上にちっぽけな人間なんだ、と気づいています。

別にそこまで悲観しているわけでは無く、むしろ「社会ってそんなもんなのかー。」とどこか面白く感じているのですが。

 

 

一旦僕は休憩期間に入りますが、やはり僕はまだ何かしらのジャンルで面白いと思われたいみたいです。

 

またいつか、「1ヶ月一人ラジオ生活」や「1ヶ月大喜利生活」、「1ヶ月4コマ漫画生活シーズン2」などをすると思います。

 

モチベーション維持のためにも、おそらくネット上・ブログ上に出すと思いますので、そのときはまたよろしくお願いします。